捕虜の取り扱い

日本軍の捕虜政策

日本軍の捕虜政策

 先週末購入したのだが、三連休中は休日出勤したり親の家に行ったりしてあまり時間が取れなかった。通勤時に読むにはかさばりすぎる本なので、前半部分と目次を見て興味をそそれられた部分をつまみ食いした程度である。その代わりというか同時期に購入した同じ著者のスガモプリズン―戦犯たちの平和運動 (歴史文化ライブラリー)を通勤時には読んでいた。

 「日本軍の捕虜政策」でまっさきに興味を引かれた部分はやはり石毛通冶氏の証言を詳細に記述したP341以降の部分だ。
石毛氏は予備士官学校の出身*1だが、実質6ヶ月の教育しか受けていない。消耗品としての将校を速成するための予備士官学校では国際法の教育はまったく受けていなかった。「俘虜取扱規則」を初めて読んだのは収容所に分所長として着任した後だったというから、日本軍の国際法に対する関心の低さが伺える。

 東京俘虜収容所本所の所長にはいろいろと助けられた、いい人だった石毛氏は評している。ちなみにこの本所長の知人に灸の大家がおり、その知人から栄養失調には灸がよいと聞いたことから捕虜に灸を据えたと証言している。この本所長が以前のエントリで取り上げた石毛事件以外に灸を据えたことを問題視されたSU・K大佐である。

 「法廷の星条旗」にも記載があったが、石毛氏は溶鉱炉のスチームを利用して部屋を暖房したり毎日入浴させたりしていた。文中に「日本人よりもいい暮らし」という表現が出てくるが、当時の首都圏では僅かな使用超過でガスを止められる家庭が続出したり、銭湯の営業が不規則で入浴が思うようにいかなかったりした事情を考えると確かに日本人よりも捕虜の方がそういった部分では優遇されていた。(ガスの件については清沢洌暗黒日記〈2〉 (ちくま学芸文庫)昭和19年11月20日の記事より、銭湯の件は川島高峰流言・投書の太平洋戦争 (講談社学術文庫)」P228より)
 また、私的制裁を厳禁していたという証言もなされているので、石毛氏は当時の環境の中では収容所所長として最良の人間であったと判断できると思う。
 灸の件も虐待と認定されかねない事例が存在したとしても、動機は栄養失調の捕虜を放置せずに出来る範囲で治療しようとしたためたったのだろう。

 しかし、石毛氏は戦犯裁判にかけられ、重労働35年を宣告されている。「法廷の星条旗」では指揮官として収容所内で行われたの殴打等の責任を追求されたとしているが、個人的には厳しい判決であったのではないかと思う。

*1:1941年10月入学、翌3月卒業