ゴボウについて

 シベリア抑留者の未払い賃金に絡んで、日本で労働させられた捕虜たちについて確認しようと日本軍の捕虜政策の第四章「労務動員された白人捕虜」を読み返していたら、見落としていた以下の文章に気がついた。

 一九四四年一二月一日、戦況が悪化しているなかで開設された東京俘虜収容所第八分所(四五年四月一四日に仙台俘虜収容所第六分所へ移管)は、三菱鉱業尾去沢鉱業所で働く捕虜を収容していた。所長の浅香敏則は、給養について次のように説明していた。
 十分でなかったことは確かだった。しかし、ずいぶん苦労して食糧を確保していた。ゴボウは当時すでに貴重品で一般の人には食べられなかったが、わざわざ仙台までいって運んできたり、昆布を釜石の収容所長に話をつけてなんとか手に入れてもらって、トラックで山の中の収容所まで運んだりした。これが僕の起訴状には木の根を食わせた、海の雑草を食わせたと書かれていた。
(中略)
(一九八五年八月二七日、新宿にてインタビュー)
P264

浅香所長がこの起訴状によって有罪判決を受けたのか、受けたとしてどれくらいの重さだったかについては判らない。