Apemanさんの4月16日付エントリ、「証拠を隠滅した側に与するものが信じてもらうための条件」のコメント欄に南京事件を否定する証言が山のように集められていると仰る方が現れたので、以下の質問をしてみた。

bat99 『>証言が山のように集められております。
具体例を教えて下さい。

ついでに偕行社の「証言による南京戦史」での証言について見解をお持ちでしたら、教えて下さい。』 (2007/04/16 21:43)

 3日たった今の時点でも回答をいただけていないようだ。Apemanさんのコメント欄をお借りするのも申し訳ないので、なんでこんな質問をしたのかをこちらで延べたい。

  今回のコメントで言っているのはおそらく「「南京事件」日本人48人の証言 (小学館文庫)」ではないかと考えたのだが、自分では明言せずに、相手に探させようと*1する態度が以前同じくApemanさんの所のコメント欄で、自分が「根拠」が出せないのに逆切れして

史料を出して、それを根拠だとするのもいい。だが、それにしては「南京大虐殺はあったんだ!」という資料しか出さないし、偏っている。
なに一つ「事実」を提示せずに「事実について語れ」と主張するひと

なんてことを言い出した人を思い出させたので具体例を聞いてみた。

 この手の具体例を明示せず、匂わせるだけの発言は南京事件慰安婦問題についてのネット上の議論をROMっているとよく見かける。*2議論なり問題提起なりをしようとするのならば、具体例をたたき台として出して欲しいと考えるのはそんなに不当なことではないと思うのだが。

 第二の質問は、もし南京事件を否定できる証言*3を無視するなと言うのであれば、逆に南京事件を、少なくとも不法と判断される殺害の存在を示す証言に対してどういう態度を取るのかを示すことが必要ではないかと考えたから尋ねた。

*1:これは私がそう感じたということで本人にはそういった意図はなかったかもしれない

*2:最近見かけたのはこちらでの議論

*3:Apemanさんがコメント欄で述べているとおり、実際問題として南京事件を証言で否定しようとすればかなりの分量が必要