B-29国際研究セミナー 〜空襲と連合軍捕虜飛行士をめぐって〜

 20日、大船の栄光学園POW研究会主催のセミナーが開かれた。先週久しぶりにPOW研究会のホームページを開いたら、掲示されていたので見逃すことなく参加することが出来た。
 19日には大船捕虜収容所跡地を見に行く企画もあったが、仕事の予定があったので申し込みはしなかった。そしたら前日に仕事がキャンセルになってしまった。もう少し早く分ってれば参加できたのに、いささか残念である。

プログラムは以下の通り。

福林 徹(POW研究会/京都府立高校教諭)
「本土空襲の撃墜米軍機と捕虜飛行士」

トーマス・セイラー(米国ミネソタ州コンコルディア大学助教授)
&グレゴリーハドリー(POW研究会/新潟国際情報大学教授)
「上空からの恐怖 〜B-29飛行士から見た戦争と捕虜についての大局観」

久野一郎(POW研究会/千葉県睦沢町郷土歴史民俗資料館学芸員)
「千葉県内の墜落連合軍機と捕虜飛行士」
長澤のり(POW研究会)
B-29機長ロバート・ゴールズワージーとの和解と交流」
手塚尚(神奈川県歴史教育者協議会/横浜の空襲と戦災を記録する会)
「横浜大空襲について」
平松晃一(POW研究会/名古屋大学大学院/栄光学院OB)
「大船捕虜収容所について」

 POW研究会の会員の著作はいくつか読んでいたのですでに知っている内容もあったが、やはり質疑応答やディスカッションは聞いているだけでも重要な観点が浮かび上がってくるので有意義な経験だった。

 いくつか興味を引かれた点について。

  • 千葉県内で重傷を負った墜落飛行士を斬首し、戦後戦犯裁判にかけられた事例(福林氏、久野氏)。

 被告は重傷を負った飛行士を武士道に則って介錯したと主張し「武士道裁判」と称された。裁判では国学の教授が証人として出廷し、武士道について証言したという。しかし、遺体を兵士たちの刺突訓練に使った*1りしたため、被告は絞首刑に処せられている。

  • セイラー助教授の話。

 日本軍に捕らえられた連合軍の兵士たちを輸送する船や、日本国内で働かせれている工場の位置の情報は連合軍上層部は持っていたが、潜水艦やB-29のクルーには知らされていなかった。結果として連合軍の攻撃によって連合軍捕虜が死亡するといった事態が発生した。捕虜輸送船に撃沈により約1900名の死者が出ている。

 ジュネーブ条約について前線の兵士に配るためのブックレットは1944年まで発行されているのは確認している。そのブックレットの挿絵に描かれている敵の陣地にはナチスの旗が揚がっており、ヨーロッパ戦線用に作成されているらしい。太平洋戦線に派遣された兵士用には作成されていないのではないかと助教授は推測している。

  • 横浜大空襲の話(手塚氏)

 横浜の空襲全体では5182人の死者行方不明者、一番激しかった1945年5月29日の空襲時の死者行方不明者は3959人とされているが、それより多かったことはほぼ間違いない。5月29日の空襲だけで、黄金町駅で空襲後構内で死亡した人数は628人と駅長が確認している。町名を聞き取れなかったが町内会の防空壕で死亡していた数が311人、空襲後知人を探すために反町(神奈川区)周辺で死者の名前の聞き取りをした人が確認した人数が1051人と、これだけで2千人近い死者が確認されている。現在では正確な人数を数えることは不可能である。

 このセミナーには内海愛子教授も出席していて、終わった後に少しだけど話をすることができた。
 私が戦犯や捕虜問題に興味を持ったきっかけが横浜弁護士会の「法廷の星条旗」を読んだためなのだが、そのことを話すと内海教授もあの本はとても重要な研究をしているとおっしゃっていた。法律の専門家が戦犯裁判の資料を読み込んで研究しているのは今のところ他にはないとのことだ。
 また、以前ここでも取り上げたゴボウに絡んでの浅香氏についても少し聞いてみたが、何度かインタビューをされていたとのことだ。短い時間だったが、とても為になった。ありがとうございました。

 このエントリーでの記載は私が講演を聞いての理解で書いたものですので、事実誤認等がありましたらすべて私の責任です。

*1:中国戦線でよく行われた度胸づけと同じ目的だったと考えられる