25年前の争点に戻すべきではないか

沖縄集団自決に関する教科書検定の問題ではid:buyobuyoさんのそもそも集団自決問題は軍による島民虐殺をごまかすためにお上が持ち出したものだろうにid:s_kotakeさんの「集団自決があったことそのものが疑われるのではないか?という疑問」という二つのエントリで以前の争点が自決ではなく殺害であることが示されているし、また、この二つのエントリを受けて書かれた「文部省教科書調査官の証言」でApemanさんが教科書調査官の証言を紹介しておられる。
 逆に教科書執筆側からの証言を読むと、1982年当時どうあっても日本軍による沖縄県民虐殺そのものを教科書に記載したくない文部省(当時)の姿勢が伺われる。

以下の文章は江口圭一著 十五年戦争研究史論、P344〜P349からの引用です。

 文部省に提出した原稿本(白表紙無記名で製本された本)で、私は沖縄戦に関する本文の注記としてつぎのように書いた

 六月までつづいた戦闘で、戦闘員約10万人、民間人約20万人が死んだ。鉄血勤皇隊ひめゆり部隊などに編成された少年少女も犠牲となった。また、戦闘の邪魔になるなどの理由で、約八〇〇人の沖縄県民が日本軍の手で殺害された。

 この記述の数字は歴史学研究会編『太平洋戦争史(5)太平洋戦争?』(青木書店 一九七三年)によるもので、同書800人という日本軍による殺害者数は沖縄県職員組合の「旧日本軍の犯罪追及委員会」の調査にもとづいている。

この記述について文部省は修正意見を指示した。検定には修正意見(A)と改善意見(B)がある。前者は指示にしたがって書き直さなければならないもの、後者は書き直すのが望ましい、書き直さないのならばその根拠を明らかにせよというものなのでこの記述を書き直せと文部省が強制したことは間違いない。

 時野谷調査官は記述の前段については10万人、20万人という数字が不正確であるといい、『沖縄県史』の数字をあげ、公式発表では死者十八万八一六三人とされていると指摘した。また後段については、このようなことを教科書に書くのはいかがであろうか、日本人同士でこんなことがあるとは考えられないなどという意味のことを述べ、八〇〇人の数字にも根拠がないと指摘した。

A見がついた以上、書き直さなければ検定に合格できないので江口氏は次の修正原稿を提出した。

六月までつづいた戦闘にまき込まれて、十数万人の沖縄県民が死んだ。鉄血勤皇隊ひめゆり部隊などに編成された少年少女も犠牲となった。また、スパイ行為をしたなどの理由で、日本軍の手で殺害された県民の例もあった。(第一次修正)

だか、この原稿も却下されてしまう。江口氏によれば、他にA意見のついた三一独立運動の犠牲者数、関東大震災朝鮮人虐殺数、南京大虐殺の被害者数*1などは具体的な数字を出さないことで検定を通ることができたので、この記述が認められなかったのは意外であったそうである。

次に江口氏は沖縄県立平和記念資料館に展示してあるパネルの文章

混乱をきわめた戦場では"友軍"による犠牲者も多くでた。スパイ嫌疑、壕追だし、食糧略奪、幼児処分、収容所襲撃などで罪のない避難民が殺傷された。

を添付して以下の原稿を提出した。

六月までつづいた戦闘にまき込まれて約九万四千人の一般住民が死んだ。鉄血勤皇隊ひめゆり部隊などに編成された少年少女も犠牲となった。また、混乱をきわめた戦場では、友軍による犠牲者も少なくなかった。(第二次修正)

この修正文も不可であった。江口氏が担当編集者から聞いた話によると時野谷調査官は「パネルなんかじゃだめだ」と言ったという。そこで江口氏は初回の検定の時に時野谷調査官が依拠した『沖縄県史』そのものの記述するという方法を用いた。

六月までつづいた戦闘にまきこまれ、約九万四千人の住民が死んだ。鉄血勤皇隊ひめゆり部隊などに編入された少年少女も犠牲となった。なお、『沖縄県史』では、戦場の混乱のなかで、日本軍によって犠牲となった県民の例もあげられている。(第三次修正)

だが、この文章でも合格にはならなかった。

編集担当者は、時野谷調査官が『沖縄県史』は体験談を集めたもので一級の資料ではない*2、書くならちゃんとした学者の研究書を使ってほしいといった趣旨のことを述べ、さらに「検定制度を取りちがえていませんか」といった旨を伝えてきた。
 どのように表現を変えようと、日本軍による県民殺害の事実を書いてはならないという文部省の強固な意志は、もはやまったく明瞭であった。また、合格をえるためのタイムリミットが迫っており、私は日本軍による県民殺害の記述を断念するほかなかった。私はつぎの文章を提出して、ようやく合格した。
  六月までつづいた戦闘で、軍人・軍属約九万四000人(うち沖縄出身者約二万八〇〇〇人)、戦闘に協力した住人(鉄血勤皇隊ひめゆり部隊などに編成された少年少女をふくむ)約五万5000人が死亡したほか、戦闘にまきこまれた一般住民約三万9000人が犠牲となった、県民の死亡総数は県人口の約二〇%に達する。(第四次修正)
強調引用者

 一方の当事者からの証言だからそのまま受け取ることはできないかもしれないが、江口氏が編集者から聞いた調査官の言動は現在でも散見される歴史修正主義者の物言いと瓜二つのように私には思える。

*1:現在の歴史修正主義でもやり玉にあがるものばかりである

*2:ネットで南京事件否定論者が言い出しそうな台詞だ