例えば・・・
「大東亜戦争肯定論」「南京事件否定論」などについて書かれた書籍についてはその出版を禁ずるといった法律が制定されようとしたとき*1、私はその動きに反対するかどうかを考えていたことがある。
私自身、歴史修正主義、特に大日本帝国の戦争犯罪に関するものに反対する立場であるから、そういった書物の出版数が減るのは望ましいと考えてはいる。だが、それは国が強制力によって行うべきものではなく時間はかかっても対抗言論によって*2成し遂げるべきものであろう。
そう考える理由は左派を自認する以上、言論の自由は守らなければならないと言う建前論もあるし、また出来る限り二重基準を取りたくないという意識もある。
だが、本音としては国に例え自分が反対する言論であれ禁止する権限を与えてしまえば、その矛先がいつこっちに向くか判らないという不信感が大きい。
立場の左右を問わず、ある程度の強さ*3で政治的主張をすれば国家はそれを制御しようとするのは今年春のフリーチベット運動で右派でも実感した人も多いだろうし一定のコンセンサスは得られそうだと思うのだが・・・