忘恩

ここから始まった一連の流れに乗り遅れてしまったけど、BC級戦犯裁判に関心を持っている一人として少し思うことを。

まず発端となったプログについては、自衛論などに関連するエントリについては共感を持って読んでいたので現在の状態はかなり残念だ。ただ、Apemanさんの苛立ちは理解できるので、この件に関しては私はApemanさんの側に立つことは明言しておく。

元々、BC級戦犯裁判に関する日本国内での議論はかなりアンフェアであると私は認識している。

 横浜裁判に限らず、BC級戦犯裁判全体について色々と問題はあったことは事実だと思う。だが、裁判などせず日本人に直接復讐したいと思った人間は数多くいた。裁判という形式を取り無秩序な復讐を良しとしなかったことは評価すべきだ。その上で個々の事例について批評すべきだろう。
雑感 - bat99の日記

かなり前に書いた文章だが、現在でも考えは変わっていない。BC級戦犯裁判を批判するにしても、個々の事例に基づいたものでなければ単なる誹謗中傷と区別がつかなくなってしまう。その意味でもApemanさんが根拠の明示を求めたのは正しいやり方であったと考える。

私自身が日本でのBC級戦犯裁判批判の一部が醜悪*1なものに感じられるのは、一つはゴボウの件に代表されるように裁かれた人を無垢な被害者として認識させることによって、旧日本軍全体の戦争犯罪を無かったこととするか、そこまで行かなくても免罪させる事を目論んでいる意図が透けて見えることだ。南京事件を否定するために「百人斬り裁判」の被告を取り上げるのもこういった手法の一種であろう。
端的に言えば、歴史修正主義の一種としてBC級戦犯裁判批判があると思っている。*2

そして、もう一つは一部を取り出して全体を否定するという手法をとっているために、BC級戦犯裁判において、連合国が建前として掲げた人道主義を実現させようとして苦悩しながらも、あるいは同国人からの罵声を浴びながらも日本人のために弁護を続けた外国人弁護人の活動を完全に無視する形になることだ。

実例を持って批判するのならばともかく、あやふやな伝聞を持って弁護人の努力を無にするような言動を見過ごすのは「忘恩の徒」と呼ばれても反論し難いのではないか。

 横浜裁判は、「勝者の裁き」であって「文明の裁き」ではなかったといういいかたがされることがある。たしかに、先にみたように、軍事委員会(裁判所)は、合衆国憲法英米法の証拠法則は占領地における軍事委員会の裁判には適用されないと判断した。その点では、この裁判は「文明」を拒否した規程によっておこなわれた。わが国の国民からするとBC級戦犯裁判に対する不公平感が湧き出る理由がある。

 しかし私たちは、同時にこの裁判のアメリカ人弁護人が、きわめて鋭く、日本人弁護士以上に、横浜法廷の論理の「非文明」性を指摘し、執拗といえるほどねばり強く再三にわたって警鐘を乱打していたこともみなければならない。この裁判がもっていた両面をみるべきである。

 私たちが、横浜裁判が「文明の裁き」ではなく「勝者の裁き」であったというだけにとどまっていると、アメリカ人弁護人が身をもって示した「文明の裁き」という視点を見失ってしまうことになるだろう。

「法廷の星条旗」P105

以前にも引用した文章だが、再掲しておく。

*1:かなり強い表現だが正直な心情だ

*2:むろんすべてとは言わないが