南京論争について

私が南京事件に関心を持ったきっかけというのが実はYAHOOの掲示板での南京事件論争だった。ほとんど知識の無い状態でROMっていたが、JOHN_VOIDさんという方が否定論者の意見を一つ一つ史料に拠って潰していき、反論できなくなった否定論者が人格攻撃やヘイトスピーチに走っているのを見れば否定論というもののいかがわしさは明白だった。
で、そういった議論*1を読んでいて感じたのは否定論者は史料や先行研究を重んずるという事がなく、自らの欲求をダダ漏れにしているということだ。
そういった否定論者の動機についてはApemanさんがはてな別館を開設した時にこんなコメントをした。

蝙蝠 2006/08/05 10:38
別館開設おめでとうございます。

 以前Apemanさんに問いかけられた問題(「あった派」の主張をシンプルに表現する)について考えていたのですが、思いつきませんでした。
 色々と考えていたのですが、私の認識では否定論の大部分は中国に対するヘイトスピーチであり、そのために学術的に正規の手続きをとって議論しようというレベルの問題ではなく、ヘイトスピーチの蔓延を如何に防ぐかという政治的といってもいいレベルの問題となっていると考えています。(首都の知事が公の場でヘイトスピーチを垂れ流す社会であるので、かなり難しい問題だと思っていますが)

 話はかわりますが、Apemanさんがこのエントリーで述べているように否定論者は問題を日本対中国といった対立の図式に持ち込み、それによって中国にある程度の反感を持つ層にうまくアピールしています。
 ですが、それは文字通りプロパガンダの手法であり、中国以外の国家から見てもアンフェアであると判断されかねない。さらにネット上の否定論者のヘイトスピーチが他国が読まれていれば、こんな連中が占領軍として中国大陸に進駐していれば虐殺の一つや二つ起こしかねないと思われてしまってもしかたがないのではないかと。国益(あまり好きな言葉ではありませんが)に大いに反しているのは「あった派」ではなく否定論者ではないのかとね思えます。

 うまく言えませんでしたが、最近の私の問題意識として二点挙げさせていただきました。これからのご活躍に期待しています。

南京事件否定論と本質主義 - Apeman’s diary

これは私の偏見かもしれないが、南京事件に知識がないと言いつつ言及する人が後を絶たないのは中国政府に対する反感がもとになっているのではないだろうか。それが結果として歴史修正主義者にとって有利な状況を生み出しているという認識は上のコメントを書いた時から変わっていない。
実際、否定論を批判するようなエントリをあげると文革チベット問題*2を持ち出してくる人がよく出てくる。
南京事件否定論は基本的にトンデモ - Close To The Wall

日本でもチベット問題に取り組んでいる人たちはいるわけだが、南京事件についてチベット問題を引き合いに出す人たちがこういった活動について言及したところは見たことがない。無論私が知らないだけかもしれないが、ただ、私はこういったチベット問題に関わろうとする人たちの活動に反対しないし、私の知る南京事件肯定論者*3で反対しそうな人も思い当たらない。

逆にネット上の南京事件否定のためにチベット問題が引き合いに出される頻度が上がれば、チベット問題に取り組んでいる日本人の活動を結果して阻害する事になるのではないかという危惧がある。日本の戦争犯罪と相殺するためにチベット問題を取り上げているのではないかと他国*4から見られてしまう危険性も考えて欲しいものだ。

追記
ブックマークより

2008年01月06日 HDPE
ちょっと違うけど、広島・長崎の話をすると”リメンバー パールハーバー”と条件反射する米人はたくさんいる。というかこの手の話は30年以上ループしてるけどまだまだ足りないのか
はてなブックマーク - 南京論争について - bat99の日記

南京事件に絡んでチベット問題を取り上げていくと条件反射的に相殺される可能性が高くなるのではないかというのが、エントリを書いた動機の一つであるわけです。

「どっちもどっち」論は日本が被害を受けた戦争犯罪について追求することも阻害します。アメリカ人がパールハーバーを持ち出したとしても、それと原爆が別個の問題であると反論するためには安易な相殺論は有害でしかないということです。

*1:にもなっていないのは当時も今も一緒だが

*2:中国政府の弾圧を問題視するとしても新疆ウイグルに対する言及が少ないような気がするのは私の気のせいか?

*3:うまい言い方が出来ないので取り合えずこう表現しておく

*4:中国に限らず