原子力発電

  • 今回の福岡第一原発の事故が想定外の震災のためというのが、それが事実なら逆に原発は停止させるべきだと考えてしまう。「原発は想定内の状況であれば安全です。ただし想定外が発生した場合は莫大な被害を及ぼします」といわれて安心できる人がどの程度いるかは疑問だ。
  • 現在の東電管区での電力不足は原子力発電所脆弱性のためで、反原発運動が無理矢理発電所を停止させたわけではない。福島第一原発が復旧することはまず有り得ないし、現在計画中の東通原子力発電所も今回の震災前の計画で運転開始が2017年の予定だった。最低でも6年以上は原発での発電量は減ることを考えればその期間の対策を原発を停止させろという側と少なくと同等レベルで原発推進側は提示する必要があるのではないのか。
  • 介護に対して電気が必要であり、原発を停止させることによってもっとも被害を被るのは社会的弱者ではないかという意見には確かにその通りと思わざるおえないが、逆に上記で述べたように原発を継続していくにしても一定期間は電力不足は避けられない。また、地震発生時に長期に渡る停電や電力不足の可能性が否定できなくなっている現在、病院や介護施設、要介護者のいる家庭などには率先して電力を融通する仕組みや、太陽光発電や蓄電池を取り付けるための補助金制度を整備しなければならないのではないか。
  • 現在、原発が稼動している地域の住民が身近の原発でも停止させてくれと言って来た場合、大都市圏に居住する人間*1はどう対応すべきなのだろうか。自分たちの生活を守るために我慢してくれというのか?逆に自分たちの身の安全を守るためにこちらが我慢してくれと言われたらどうする?
  • 原発推進側の議論で気になるのは、今後原発で過酷事故は発生しないというのを前提にしているように感じられることだ。近い将来巨大地震が発生する可能性を指摘するもあるわけだが、再度の原発震災の危険性は考えなくてよいのだろうか。なんか、以前の「原発は安全です」の言説をこの期に及んで聞かされている気持ちになるのだが。

原子力政策そのものが、最初の段階でこれから開発されるはずの高速増殖炉によって核燃料を賄うという前提で発足している。将来の技術革新を見込んでいたというのであればむしろ原子力発電の方が当てはまり、さらに言えばその技術は未だ実用化されていない。少なくともウラン235が枯渇する前に商業ベースに乗らなければ話にならないのだが正直かなり怪しいと思っている。もし、実用化できなかったら何十年後には核燃料が無くなり稼動しなくなった原子力発電所と大量の核廃棄物を持て余している未来が来るわけだが、その頃には今の責任者は大多数が死んでいるから構わないとでも言うつもりだろうか。

*1:私も含まれるわけだが