戦没者三一〇万人

昨日は社外研修だったので、いつもより早い電車に乗ることができた。ちょうど借りたい本もあったので帰りがけに中央図書館によってきた。
 借りたかった本は日英交流史1600‐2000〈3〉軍事という本だが、図書館の検索サービスで調べてみるとid:Apemanさんがここで取り上げている「軍事史学」のバックナンバーが置いてあるので、見てみたらちょうど秦郁彦氏の論文が載っている号があったのでこれも借りることにした。

 秦氏の論文は「第二次世界大戦の日本人戦没者像 −餓死・海没死をめぐって−」というもの。九章からなり各章の見出しは以下のとおり。

  1. 三一〇万人の戦没者
  2. 「餓島」となったガ島
  3. 六〇万人の餓死者
  4. 軍艦の墓場
  5. 六万人の船員が死んだ
  6. スシ詰めの船倉で
  7. 沢村栄治の海没死
  8. 海没死者は四〇万人か
  9. 四万人の空没死

一章では戦没者三一〇万人の算出方法について述べられている。毎年8月15日におこなわれる「全国戦没者追悼式」でも引用される三一〇万人という数字だが、内訳としては軍人・軍属・準軍属が「外地二一〇万人」、「内地及び周辺二〇万人」、一般邦人が「外地戦没者三〇万人」、「戦災戦没者五〇万人」で計三一〇万人としている。*1

 ただ、以下の文章を読むと戦没者の内訳には混乱が見られるようだ。

遺骨収集の目的もあって集計した地域別の戦没者数は一九六四年に作成された陸海軍別の軍人・軍属に限定された集計表(準軍属は除く?)と一九七六年に作成された民間人をふくむ全戦没者の集計表という二系列があり、後者は陸海軍の別、軍人・軍属と民間人の区分がなく、六四年集計表と整合しない箇所もある。
 表2のA、Bは*2全地域の軍人・軍属の戦没者で計二一二.一万人(うち日本本土・小笠原など一一.九万)に対し、Cは外地(沖縄・硫黄島をふくむ)だけの軍人・軍属・準軍属・民間人を合計した戦没者を二四〇万人(本土をふくめると二五一.九万人)となっている。その差数について藤原彰は単純に「後の調査の増加分」かと推測するが、広田純は二一二万人と二五二万人の差数をすべて民間人と見なし、表1の「一般邦人-戦没者三〇万人」を四〇万人に修正するよう提言している。しかし広田は同時に「軍人・軍属・準軍属-戦没者二三〇万人」を二二〇万人に修正する意見なので、総計の三一〇万人は動かないことになる。
 筆者も広田の発想は理解するが、食いちがう原因は厚生省が一九七六年以後準軍属(一一.九万人)を民間人から外したために生じたのではないかと推定している。そうだとすれば、表Ⅰの「外地二一〇万人」は準軍属を加えて二二〇万人に、「内地及び周辺二〇万人」はその分を減らして一〇万人に修正する必要があるのかもしれない。
 いずれにせよ、約三一〇万という戦没者総数は妥当な数字だと判断されるので、今後の議論はこの数字を前提として進めることにする。
P6

 ちなみに準軍属とされているのは、「旧国家総動員法に基づく被徴用者」「満州開拓青年義勇隊員」「陸海軍の要請による民間人の戦闘参加者」である。最後の戦闘参加者にはひめゆり部隊沖縄戦の集団自決者の一部も含まれている。

*1:4頁表1より

*2:地域別の戦没者をまとめた表なのでここでは省略する。六四年作成の内Aが陸軍、Bが海軍、Cは76年作成の数字