戦史

お返事

コメントを頂いていたのにお返事が遅れてしまった。 元気さん、申し訳ありません。12月14日の方はちょっと長文になりそうなので、先にご質問のあったロバート・アッシュトン・ヒル氏の件についてお答えします。 例えば、認識票の束の一番上にあったASHTON HI…

砂中の掩蔽壕

id:blackseptemberさんが三浦半島の戦跡をリポート*1 *2されておられるが、そちらのコメント欄でApemanさんとblackseptemberさんが取り上げられた壕を掘る手間についてやり取りをしているのを読んで思い出したのが次のインタビュー。 −瀬谷部隊は、何名位兵…

「村と戦争 兵事係の証言」

昨日会社帰りに閉店時間ぎりぎりの古本屋によってみたのだが、 「村と戦争 兵事係の証言」黒田俊雄編 桂書房 という本を購入できた。 これは富山県庄下村で戦争中兵事係を務めた出分重信氏が敗戦後、軍の指示に反して焼却せずに残し、整理した兵事関連の資料…

お人好し

日本国内における歴史修正主義*1の一種としてたまに見かけるものに「日本人の国民性としてそんなこと(南京事件、沖縄県民虐殺など)は出来ない」というものがある。 前回取り上げた1982年の沖縄戦検定問題で調査官の言動が現在の歴史修正主義者を連想させると…

抑留と裁判と

以前、私は戦犯裁判に関して次のように書いた。 だが、裁判などせず日本人に直接復讐したいと思った人間は数多くいた。裁判という形式を取り無秩序な復讐を良しとしなかったことは評価すべきだ。 雑感 戦犯裁判は確かに不公正な部分があった。*1が、多くの日…

JSP その二

南方軍の将兵が降伏軍人としての立場に立たされたのは、もともとは南方軍総司令部が東南アジア連合軍との交渉において捕虜ではなく「降伏軍隊」としての名誉と待遇を要求したことによる。東南アジア連合軍は「降伏軍人」という地位を認めたが、そのため日本…

JSP その一

(Japanese Surrender Persons) あるいは(Japanese Surrendered Personnel)の略号。日本語で表記する場合は「非武装軍人」、「降伏日本軍人」となる。 敗戦後、日本軍人が捕虜になることを拒否する可能性があるので、外務大臣や陸軍省は「捕虜」(POW)としてで…

戦没者三一〇万人

昨日は社外研修だったので、いつもより早い電車に乗ることができた。ちょうど借りたい本もあったので帰りがけに中央図書館によってきた。 借りたかった本は日英交流史1600‐2000〈3〉軍事という本だが、図書館の検索サービスで調べてみるとid:Apemanさんがこ…

空襲軍律に対する違和感

空襲軍律その一で、「日本軍の捕虜政策」のドゥーリトル空襲隊の隊員に対して処罰する規則を作るのに軍律を選択し、遡及して罰することが出来るという記載に納得がいかないと書いた。 その疑問を調べるために記載の元となった「軍律法廷」を読んだのだが、違…

空襲軍律 その二

東條大臣の下命により、捕獲搭乗員を処罰するための規則が制定されることになったが、その形式として法令ではなく軍律が選ばれた。北氏によれば軍律を採用することは参謀本部が言い出したことのようである。 前回書いたように軍律とは「軍隊指揮者により、軍…

空襲軍律 その一

1942年4月18日、日本本土に初めての空襲があった。指揮官の名を取ってドゥーリトル空襲と呼ばれる空襲である。その爆撃機のうち一機が撃墜され、一機は日本陸軍の支配地*1に不時着し搭乗員八名が日本軍に捕獲された。 その八名の搭乗員の処遇をめぐって軍上…