空襲軍律に対する違和感
空襲軍律その一で、「日本軍の捕虜政策」のドゥーリトル空襲隊の隊員に対して処罰する規則を作るのに軍律を選択し、遡及して罰することが出来るという記載に納得がいかないと書いた。
その疑問を調べるために記載の元となった「軍律法廷」を読んだのだが、違和感は拭えなかった。
軍律と法律は別のもので法律を制定する上では守るべき原則でも、軍律を制定する上では必ずしも拘束されないと言うのが事後にドゥーリトル隊隊員を裁いた軍律制定の理論であると私は理解したのだが*1、その部分に違和感を感じたのだ。
陸軍省と参謀本部が陸軍省法務局の作成した空襲軍律のモデル案を元に各軍に空襲軍律の制定を指示したとき、*2モデル案には付則があった。その付則は「本軍律は施行前の行為に対しても之を適用する」とあり、遡及適用を明言していた。(軍律法廷P59)
歴史学も刑法*3も専門的に学んだことのない素人の意見だが、人を死刑*4にできる手続きを定めるにあたって近代法の原則を無視して制定が出来てしまうのは問題だと思う。
空襲軍律その一で取り上げたように、ドゥーリトル隊隊員に対する処遇については陸軍内でもいくつかの意見があった。が、強硬に厳罰を主張する参謀本部に押されて最終的には軍律によって処罰することになった。
その理由の大部分が空襲を少しでも抑止したいがためにみせしめを作ることであったのだろう。しかし、本土を攻撃されたことによる復讐心が厳罰を主張する者たちにあったのではないか。
その自覚と軍律にしたからと言って刑罰不遡及の原則を無視できるものかという不安が、敗戦後の復員庁の「軍律に関する見解」として東京裁判の論理を援用した形での正当化につながったと考えるのはうがち過ぎだろうか。
そういった意味ではid:Apemanさんも指摘されているが、ドゥーリトル隊に対する軍律法廷と東京裁判には共通点が多いと考える。
東京裁判が問題の多い裁判というのは日本ではかなり一般的な認識になっていると思うが、旧日本軍も東京裁判以前に復讐目的で法理を曲げていたケースがあることは、自覚しておいた方がよいのではないか。 こちらで語られるように他国の戦争犯罪を非難するならば、自国の戦争犯罪*5についても知り、それを許さないという立場を明示しておく方が説得力を増すだろう。