お人好し

日本国内における歴史修正主義*1の一種としてたまに見かけるものに「日本人の国民性としてそんなこと(南京事件沖縄県民虐殺など)は出来ない」というものがある。
 前回取り上げた1982年の沖縄戦検定問題で調査官の言動が現在の歴史修正主義者を連想させると書いたが、その一つが

日本人同士でこんなことがあるとは考えられないなどという意味のことを述べ、八〇〇人の数字にも根拠がないと指摘した。

の部分である。

以前から感じていることだが、日本人はお人好しで国際社会では損ばかりしているというイメージをかなり根強く持っている人*2は多い。また、中国、韓国はお人好しの日本人をカモにして不当な要求を出し続けている印象は特に右派的ではなくても持っている人は多いようだ。

個人的には自分で自分のことを「お人好し」と吹聴する人間はあまり信用する気にはなれないので、こういった理屈で他国人に日本の戦争犯罪が冤罪であると納得させることはほぼ不可能じゃないかとも思う。

それはともかく、お人好しとしは少し違うかもしれないが不適切な相手の要求を受け入続けてしまった国(政権)として私が思い浮かぶのは日本ではない。

1940年3月30日、南京で一つの政権が発足した。汪兆銘(精衛)を主席*3とした南京国民政府である。

もともとは1938年1月に発表された第一次近衛声明「帝国政府は爾後国民政府を対手とせず」によって蒋介石との交渉の道を自ら閉ざしてしまった日本側が、当時国民政府の№2と目されていた汪兆銘を担ぎ出したを図ったことがこの政権樹立の大きな要因だった。

だが、日本はしっかりとした対中国方針を建てることが出来ずに迷走し、汪兆銘は政権樹立以前の時点から梯子を外されたような形でその迷走に巻き込まれることとなる。

(続きます)

*1:他国でもあるのかも知れないが

*2:特に保守を自認する人は

*3:発足時は主席として国民政府の林森を据え、汪兆銘は主席代理とした