「村と戦争 兵事係の証言」

昨日会社帰りに閉店時間ぎりぎりの古本屋によってみたのだが、


「村と戦争 兵事係の証言」黒田俊雄編 桂書房

という本を購入できた。

 これは富山県庄下村で戦争中兵事係を務めた出分重信氏が敗戦後、軍の指示に反して焼却せずに残し、整理した兵事関連の資料と本人に対する聞き取りをまとめ、大江志乃夫氏による兵役制度の解説を付けた本である。

 兵事係の方の証言をまとめた本なので、ここしばらくはてなキーワード関連で話題になっている兵事主任という言葉について記載がないかとざっと流し読みしてみると以下の文章を見つけた。

次にお問きしたいのは、動員の実際についてですが、それはどのようにして行われたのでしょうか?
出分 これも、まず『庄下村史誌』*1の方から見ていただきましょう。
在郷軍人(陸海軍の予備役・後備役・補充兵役・国民兵役に在った者)の動員令には、戦時における充員召集・臨時召集令状(令状は赤紙)が交付される。これは軍の至上命令であり、在郷兵を召集して部隊あるいは艦隊を編成するもので、入隊(入団)する日時・部隊名が書かれてあり、入隊(入団)の日時が早い場合が多く、厳格な義務が負わされていたのである。
 この動員令は、まず陸軍からいうと、大本営陸軍省から出されて軍管区司令部・第九師団(金沢師団)司令部・各聯隊(部隊)富山聯隊区司令部へ通達され、聯隊区司令部において常に準備されている動員計画によって召集令状が調製され、出町警察署を経由、警察官が急使(召集令状を持って来る使者)を護衛し、また警察官自身が急使となって役場へ届けるのであった。ただし太平洋戦争中は兵事主任が警察署へ呼び出され、召集令状を受けることが多かった。この動員令が発令され召集令状が役場へ到着する時刻は、大抵住民が寝しずまった真夜中あるいは早朝が多かった。これは軍事機密と、一般住民に動揺を与えないためであったと 思う。
後略
P50〜P51

*1:ここは出分氏が書かれた部分