空襲軍律 その二

 東條大臣の下命により、捕獲搭乗員を処罰するための規則が制定されることになったが、その形式として法令ではなく軍律が選ばれた。北氏によれば軍律を採用することは参謀本部が言い出したことのようである。

 前回書いたように軍律とは「軍隊指揮者により、軍の指揮・統率上の必要に応じて任意に制定される」ということだが、さらに具体的にいうのならば、以下のとおりとなる。

軍外の所定の対象者に遵守させるきびしい罰をともなうおきてで、正確には"実体上の軍律"(以下軍律)をいう。交戦下において、作戦地・占領地の軍司令官や艦隊司令官といったその地の軍の最高指揮官によって定められる
軍律法廷―戦時下の知られざる「裁判」 (朝日選書)」P11


 軍律が選ばれた理由は内海氏も記述しているように、空襲当時規定されていない規則によりドゥーリトル空襲隊員を罰してしまうと、法令では近代刑事法にいう刑罰不遡及の原則に反してしまう。それを避けるために軍律でいくことにしたのだ。

 軍律はmilitary regulationsといわれる。しかし、regulations=規則というよりもorder=命令の性格が強い。軍隊指揮官により、軍の指揮・統率上の必要に応じて任意に制定されるからなのである。 こうした軍律のかたちをとる処罰規則であれば、ドーリットル空襲隊員にたいし、かれらの空襲後に制定される事後の処罰規則であるにもかかわらず、遡っての適用も許される、と陸軍当局は判断したのだった。以上は、陸軍省法務局の上席局員としてこの軍律の制定にかかわった、沖源三郎元法務大佐の証言(沖氏書簡)である。当時、かれは法務中佐だった。
同P55〜P56  強調部引用者

 ところが敗戦後、陸軍省を継承した復員庁第一復員局は1946年9月に「軍律による見解」で次のようにのべている。「陸軍中央部は遡及適用したのではないと見解した」「〔戦争〕犯罪が処断せらるる事は国際法上認められた事であって、之を実行したに過ぎないからである。而して、事後に制定されたものは単に処断手続きに過ぎない」
 北氏も指摘しているが、これはじつに苦しい見解である。だが、復員庁が苦しいのは承知の上でこのような見解を述べたのは、すでに始まっていた極東国際軍事裁判の論理*1を逆手にとったのではないかと北氏は推測している。

 私もこの復員庁の見解が連合国の論理を援用したのではないかと思うが、そうだとすると日本がその論理に非難することは難しくなってしまっているのでないかとも思う。



追記 文中でドゥーリトルとドーリットルと二通りの表記をしていますが、これは「日本軍の捕虜政策」と「軍律法廷」でそれぞれ表記が異なるため、引用元の表記をそれぞれしたためです。

*1:行為が不法ならのちに罰則を設けて処罰してもかまわない