抑留と裁判と

 以前、私は戦犯裁判に関して次のように書いた。

だが、裁判などせず日本人に直接復讐したいと思った人間は数多くいた。裁判という形式を取り無秩序な復讐を良しとしなかったことは評価すべきだ。
雑感

 戦犯裁判は確かに不公正な部分があった。*1が、多くの日本人を守る機能も果たしていた。
 オーストラリア裁判のJ・ウィリアムズ判事は次のように語っている。

戦犯裁判において捕虜は告訴する日本人の名前をわからずただニックネームやあだ名で見分けていただけです。それでは戦犯の決め手とはならないのです。戦犯として裁かれた人は単なる偶然として裁かれたに過ぎません。形だけという人もいるが、しかし、裁判を開く以外に、どんな方法があったのでしょうか。各地で投降する日本兵を住民が撃ち殺すままにしておけば良かったのですか、どうすれば良かったのですか。
「趙文相の遺言」NHKスペシャル一九九一年八月一五日
スガモプリズン―戦犯たちの平和運動 (歴史文化ライブラリー) P61より孫引き
強調は引用者

 戦犯裁判にもかけられず、捕虜としても扱われなかった日本の将兵がどれほど悲惨な目にあったかはシベリア抑留や前回紹介したJSPの例でも明らかだ。
 英軍により拘留された日本軍人の死者は8971人、うち不慮死が1243人とされている。イギリス戦犯裁判で裁かれたのが308件967名*2うち処刑されたのが220名*3になる。人数の多寡で安易に判断できないし、裁判にかけれた人の心情もあるが、結果としては戦犯裁判の方が公正であったよう思う。

 英軍による「降伏日本軍人」の取扱いは、地域差はあるが一般に「公正」ではなかった。とくに終戦後一年間は報復感情が強く、英軍捕虜が日本軍に虐待されたことへの報復を公言する者もかなりいたと言われる。
「日英交流史3 軍事 日本軍の国際法認識と捕虜の取扱い」 P296

 

*1:その不公正さは連合軍だけの責任ではない

*2:日英交流史3軍事第17章より、スガモプリズンでは330件978名

*3:同じくスガモプリズンでは223名