これに関連して

十七年四月十八日
 この日絶好の快晴、午後零時三十分頃、突如帝都は空襲を受けた。勝った勝ったの国民も、はじめて敵機を目の前に見て、戦争を実感したようだった。
 一年前のきょうは、日米交渉開始の飛電があって部内を驚かしめたが、本日は思わぬ帝都空襲で全国をびっくりさした。
 東部軍司令部午後二時発表は、九機撃墜。信を天下に失う。



十七年五月六日  陛下、空襲俘虜を御心配
 さる四月十八日、帝都を急襲した米機搭乗員のうち一部はわが方に俘虜となり、その後取調べを受けていたが、この俘虜の処置については、部内の一部に血気に逸って厳罰に処すべしとする意見が動いていた。
 陛下には、これがお耳に達したのであろう。本日「俘虜は丁寧に取扱いせよ」とのお言葉を、蓮沼蕃侍従武官長より次長宛に伝えられた。敵地に捕らえられた日本の俘虜や、外地にある同胞の身を特にお心にかけさせ給うたのであろうか.....
 しかし、実際に動きつつあった省部内の空気は、ごく一部のものに圧せられて、全くお心に反する方向に向いつつあるのは、遺憾である。
(註)*1これが遂に後日空襲俘虜を重刑に処するという大本営発表になり、そのため戦後幾多の戦犯死刑者を出したことは周知の通りである。杉山総長も、この後戦争中に「あれは無益の大失策であった」と述懐していた。

大本営機密日誌 種村佐孝 芙蓉出版

*1:戦後加筆された部分