捕虜監視員

ハムニダ薫さんのところで知ったハンギョレ21の記事。
B・C級戦犯とされた朝鮮人捕虜監視員 : 薫のハムニダ日記

 この記事に書かれているように朝鮮においては「広義の強制」により、捕虜監視員は集められたらしい。内海愛子教授の「朝鮮人BC戦犯の記録」にまとめられているそうだが、私は読んでいないので詳しいことは判らない。*1

 捕虜監視員という役目そのものを日本軍は軽視していた。朝鮮人台湾人を軍属として監視員にしたのはそのためである。だが、敗戦後連合軍が捕虜虐待について厳しい態度で臨むことを察知した上層部はその責任を末端に押し付ける通達を出した。

 下村定陸軍大臣「俘虜取扱関係連合側訊問ニ対スル応答要領ニ関スル件達」(一九四五年九月一七日 陸普第一八二七号)の第二、要領の中に以下の一文がある。

二、作戦及国内国内状況等ノ一般情勢ノ明確
中略
2、国内ニ於ケル労務、食糧、医療等ノ事情及国民ノ戦争各時期毎ニ於ケル対俘虜感情(特ニ敵愾心)及彼我言語、風習、嗜好(特ニ食事)ノ差異等ニ関連シ俘虜管理当事者ノ苦心、特ニ彼等ノ社会的軽視、誤解、迫害ニ対スル陰忍ニ至リテハ其ノ実情ヲ十分公明ニシ且又俘虜収容所ノ編制素質(特ニ台・鮮人)*2、教育等ノ実体ヲ一般部隊等ト関連対比シテ能ク其ノ因テ来タル所以ヲ明ニス
内海愛子著「日本軍の捕虜政策」P555 強調は引用者

 また、さらにあからさまな文章もある。

俘虜情報局が編纂した『俘虜取扱の記録』は、収容所では日本軍人を使用せず、「負担を軽減する目的から内地では傷痍軍人を外地では朝鮮及台湾人を使用した為素質は概して低くふ虜の取扱に適正を欠き私的制裁等が相当行われた」と、さらにはっきりと書いている。
同著 P557

 だが、日本軍の捕虜対策そのものが、構造的に虐待を発生させるようになっていた。その構造の最下層に位置し、捕虜との接触が一番多かった監視員たちは結果として日本軍の無能と無策の犠牲になったとも言える。