未来の「もしも」

 今回の全面広告を出した人たちの行動は主観としては愛国の士を気取っているようだが、実際には日本政府にとって有害にしかなっていない。
 こういった「主観愛国、客観亡国」な行動をする人間は70年ほど前の日本には数多くいた。*1今回の議員、特に若手とされる人間は戦前の若手将校と同じ印象がある。
 能力はそれなりに高いのだが、視野狭窄で他者に対する共感がはなはだしく薄い。自分は正しいのだから、異議を唱える者、行動を阻害するものは実力で排除してかまわない。自身が行動したとき、成功した時のビジョンしかもっていないから「もしも」を考えない。
 で、事が終わって誰の目にも失敗が明らかになると、「歴史に『もしも』は禁句だ」と言って責任逃れをしたりする。過去について「もしも」を考えることは繰言にしかならないかも知れないが*2、未来における「もしも」を考えるのは政治家、軍人の重要な役割のはずだ。

*1:別に日本特有ということはないが

*2:私は過去においての「もしも」を考えることも必要な時があると考えるが