「英霊」と「怨霊」と

前回の続きだか、以前から気になっているというか、違和感を感じているのが「英霊」の代弁者をもって自らを任じているかのような人の言動だ。
倉本聰氏や石原都知事のように「英霊」に仮託して今の日本人に怒りをぶつけているような人は、自分の感情と「英霊」の感情が重なり合うと本気で考えているのだろうか。

アジア太平洋戦争の戦死者で靖国神社に祭られている「英霊」はその大部分が敗戦前に亡くなっている。という事は、もし「英霊」が現在の日本を見たとき、真っ先に怒りを覚えるのは「負けたこと」ではないのか。
彼らの戦死は結局は勝利に結びつかなかった上に、敗戦の責任を取るべき上層部の免罪*1に使われてしまっている。
正直、こういった点を無視して、

経済と科学文明の中で己を見失って狂奔している今の日本人の姿を見たら、一体、彼らは何を想うのか。怒りと悲しみと絶望の中で、ただ唖然と立ち尽くすのではあるまいか。
http://www.tbs.co.jp/kikoku2010/kuramoto.html

などと語られても、何故今の日本人だけが「英霊」の怒りの対象になると考えているのか、敗戦した時点で「英霊」が「怨霊」に変じていないと何故信じきれるのかと問い返したくなってしまう。