主客転倒

novlunoさんによる「慰安婦」基本的な事実解説 - Togetter
パリセイズパークの嘘つき慰安婦 - Togetter
30万人説を否定すると「人格攻撃」されると恐怖する人 - 誰かの妄想・はてなブログ版
「novlunoさんによる「慰安婦」基本的な事実解説」への反応 - 法華狼の日記

以前から存在していたのだが、最近になってさらに歴史修正主義者の「おい、オレを説得してみろ」論法がひどくなっている。

自分が納得しなければ、南京事件従軍慰安婦もその存在が証明されていないと言わんばかりの態度は随分と傲慢だと思うのだが、「戦略が悪い」と指南してくれる人はいないのだろうか。

大体、国際的にみれば自分たちが反証しなければならない立場だという自覚がない。正直単なる自慰行為と言えなくもないのだが、他国に行ってその自慰行為を見せつけたがる国会議員がいるから厄介なのだ。愚行権を行使するのは個人の自由だとは思うが、それは他者への権利侵害がないことが前提だ。同じ国籍を持っているからといって、被害者に対する申し訳なさを強要されるのは勘弁して欲しい。

南京1945年-日僑集中営-

昨日紹介した「南京1945年」だが、Amazonで検索しても見つからないので、もう少し詳しく引用してみる。
副題の日僑集中営とは「日僑」は華僑と同じような使われ方で在留日本人というほどの意味で、不安や危険をなくすために一か所に集まって集団生活を行った記録である。

 在華日本人が一番恐れていたことは、戦争に負けたら敵兵が侵入してきて自分たちが掠奪や暴行をうけるに違いないという恐怖や不安であった。少なくとも従来の戦争というものはそういうものりであったし、日本の軍隊も現に中国各地でそうしてきたのである。
 しかし、私たちは敗戦後すぐに全中国にラジオを通じて放送された、
「われわれに加えられた残虐と凌辱は筆舌につくし難いものがあったけれど、敵は日本の軍閥であり敵国の無辜の人民に汚辱を加えてはならない。」
という、在華日本人に報復的な行為をしてはならないと諭した蒋介石総統のあの有名な「以徳報怨」の演説によって救われたのである。
 これは幾多の芽にまる残虐を重ねてきた日本人にとって、痛烈な反省を促す言葉であり、中国人の襟度というか、度量というか、大きな懐の広さに頭が下がる思いであった。在留邦人のSさんが
「日本軍の武装解除の日がきまると市中に邦人虐殺の風評もながれて、生命の危険に脅えました。すると武装解除の前日に市中の辻々に蒋総統名で軍令布告文が貼りだされたのです。その文面は--日本人を殺した者は死刑に処す--この布告文をみて感極まり、おもわず布告文に合掌しました。」
と、帰国後の思い出のなかで述懐している。当時の日本人は皆んな同じような気持ちであった。
敗戦時の南京市在留民 P33-34

ただこの後山中氏は続けて武力を保持していた日本軍の降伏処理は中国側にとっても難しい問題であったことを指摘している。

 営内で聞いた最も感動深い訓話は十二月十二日、検疫所前広場で行われた国民党南京特別市執行委員、金嘉斐氏の訓話であった。一万村民の肺腑をえぐるものがあり、ちょうどその日は、恰も昭和十二年の南京陥落の日であった。

「今日は民国二十六年(昭和十二年)南京陥落の日である。私は始めて諸君と相見えるが、実は一昨年から南京に潜行して、地下工作をやっていた。あの頃は中国および同盟国の空軍が、連日のごとく南京を空襲して、怯えていた諸君らと同じように苦しい生活であったことを覚えている。だが、振りかえって今日の諸君のこの環境みるとき、諸君は少なくとも、その時の怯えたような、しかも不安定な生活より余程ましな生活をしている。
 現在の諸君の生活は、欧州における敗戦国民がうけている悲惨な生活とは、比べものにならないほど安定した生活をしている。だが、諸君は何故に国あって国に帰れないのか、家あって家に帰れないのか。
 諸君の日本の国内では、この冬を迎えて食うに食なく、住むに家なく、また着るに衣服なき百万の人が街を徘徊していると言う・・・」
金氏の訓話はその原因となった日本の中国侵略の野望を痛烈に批判し、
「今日は南京陥落の歴史的な日であるが、諸君はこのことをよく反省し、正しい日本の再建に努力することを望む。」
と、訓話を閉じたが、これを聞いて村民らは深く感動、認識を新たにしたといえると思う。この訓話を境として、今ある自分の姿をはっきりみたのである。軍国主義や侵略による「我が姿」を見て何を感じたか。敗戦後も昔ながらそのまま驕りたかぶってはいなかったか。今こそ現実を直視して、虚飾の夢をかなぐり捨てなければならないと思った。
集中営村の生活 P85-87

右派の人から見れば「洗脳」されたと言われそうな文章だが、山中氏は昭和21年3月30日に帰国している。捕虜と異なり認罪教育を受けたわけでもない人が短期間の集団生活について40年を過ぎてから書いた文章だということは指摘しておく。

そのロジックを認めていいの?

東京裁判」「復讐」で検索をかけてみると、いかに東京裁判が出鱈目な茶番であるかを力説しているページが多くヒットする。
Google東京裁判 復讐

しかし、名古屋市の河村市長によれば、戦後相手国より復讐をされれば戦争犯罪の実在を証明できるということなのだから*1、少なくとも今回の河村市長の発言を支持し東京裁判が復讐を目的とした裁判としている人は日本軍の戦争犯罪も認めなくては。*2

*1:親切にされたから虐殺(戦争犯罪)はなかったというのなら、復讐されたなら虐殺(戦争犯罪)はあったと判断しなければおかしいだろう

*2:東京裁判は通例の戦争犯罪も裁いている

タイミングが良いのか悪いのか

実は先週の土曜日に神保町に行った時に古書店で「南京1945年 日僑集中営」山中徳雄著という本を見つけていた。*1敗戦時、南京に在住していた方の手記で河村市長のことを思い出して購入した。

敵地に囲まれてとり残された居留民の心の動揺はかくしきれず、錯雑する不安感や、やがて日本軍の武装解除の日が迫ると、市中には邦人虐殺の風説さえながれた。
 しかし、蒋介石総統が「仇を仇でかえすな」と言ったあの「以徳報怨」の布告と、それを守った中国人の温情が日本人の生命を救ったのであるが、ときには街を歩いている日本人が突然なぐられたり、石を投げつけられたりすることもあった。
はじめに P6

著者の山中氏は昭和18年に「大陸新報」という新聞社の南京支店勤務のために赴任したということで南京事件から6年が過ぎていたためか本文中では言及がなかった。しかし、あとがきにあたる「おわりに」では以下のように述べている。

 南京といえば「大虐殺」事件はさけて通ることはできない問題であるが、お恥ずかしい話しながら当時は全くそのことについて知らなかった。それは当時「勝った、勝った」の大本営発表しか聞かされなかった国民の大多数がそうであったわけで、報道班員として従軍したK氏の話を聞いてみても「南京陥落を郊外の揚水鎮で待機、日本軍の入城とともに南京に入り、松井司令官の入城式にも随行しました」が、あれほどの事件は知らなかった、ということであった。
 本多勝一氏の『中国の旅』の前書きに寄せられている森恭三氏の「いま戦争責任を追及する意義」を読んでみても
「海外報道班員としてラバウルを中心にブーゲンビル、テニアン、トラック、パラオニューギニア、アンボン、セレベス、シンガポールなど移動したのと、上海で『朝日』の記者として海外放送を傍受して本社に世界情勢を報告していたにすぎないから、私自身、日本軍の残虐行為を一度も実見したことはない」と書いておられる部分がある。
 従軍記者といい、報道班員といっても全てを見るわけではないし、全てを見せてくれるものでもないから、知らなかったといっても決して不自然ではない。
 このことは昭和二十一年五月、東京裁判によってはじめて世界に公表されて、全世界に大きな衝撃を与えた問題である。国内でも今なお論争を呼んでいるが、虐殺についての事実はもはや動かせない。概して「まぼろし派」は戦争責任についての曖昧派、軍備増強肯定派らに多いようである。
おわりに P167-168 強調引用者

少なくとも敗戦当時南京にいた人でもこういう見解を持っていたのだ。

*1:出版は1988年、出版社は編集工房ノア

気分が悪い

昨日は二つのニュースの所為でかなり気分が悪かった。
一つは光市の母子殺害事件の死刑確定のニュースだが、私は実名報道には賛成しない立場なのでリンクは張らない。
会社でも話題になっているが聞こえてきたが、弁護団が死刑反対のために結成されたという話だった。廃止論者の私が言うのもなんだが、死刑を肯定するのなら少なくとも事実に基づいて欲しかったとは思う。

もう一つは以前から南京事件否定論者として知られていた名古屋市長が、よりにもよって南京市から来訪した市委員会幹部に対して自説*1を述べたという。
http://www.chunichi.co.jp/s/article/2012022090140720.html
Apemanさんが「恩を仇で返すメソッド」と呼んで「とりわけ下衆」と称する論法ですが*2、それを堂々と先方に言える神経が信じられない。

しかし、同じ日に出てきたニュースだが、今の日本の社会では被害を受けたら感情的に復讐するのが当然で、一歩立ち止まって考えるということが出来ないことを象徴的に表しているようだ。

*1:というより端的にタワゴトだが

*2:恩を仇で返す男、河村たかし - Apeman’s diary

火事、地震

あけましておめでとうございます。
去年と同じく江ノ島に行って来たのですが、去年は火事に行き逢ったんですが今年は地震に当たってしまいました。しかも展望台の一番上の野外展望台に居た時という間の悪さ。
来年行ったら雷に遭遇しそうな気がします。

今日は親の家に居るのですが、ここは同じ横浜市内なのに場所の関係で未だダイヤルアップのため写真がアップロードできません。今日撮った写真は後日アップします。

写真追記
江ノ島展望台

この写真を撮っている時にゆれていました。

理想の正月像

本気なのか

安倍氏、再登板狙う? 北朝鮮や皇室で積極発言 中国新聞

正直、安倍氏は首相の座は諦めていたと考えていた。*1あれだけ醜態を晒した慰安婦問題でまるっきり進歩のない発言を続けているからだ。
参照ZAKZAKの連載コラムで安倍晋三元首相が従軍慰安婦問題の背景は民主党の外交的失敗と主張 - 法華狼の日記

万が一、首相に返り咲いたところで慰安婦問題についてここまであからさまな二枚舌を露にしてしまっては諸外国からの信頼は激減してしまうだろう。政府上層部の発言が信頼できないと判断されることがどれだけ国益とやらを損害するのかは他国の事例を見るまでもなく、70年ほど前にこの国でいやというほど味わってきたはずた。

いや、ほんとに反日とやらなら逆に安倍氏を首相にする活動をした方が効率がいいだろう。