2007-01-01から1年間の記事一覧

捕虜監視員

ハムニダ薫さんのところで知ったハンギョレ21の記事。 B・C級戦犯とされた朝鮮人捕虜監視員 : 薫のハムニダ日記 この記事に書かれているように朝鮮においては「広義の強制」により、捕虜監視員は集められたらしい。内海愛子教授の「朝鮮人BC戦犯の記録」にま…

これに関連して 十七年四月十八日 この日絶好の快晴、午後零時三十分頃、突如帝都は空襲を受けた。勝った勝ったの国民も、はじめて敵機を目の前に見て、戦争を実感したようだった。 一年前のきょうは、日米交渉開始の飛電があって部内を驚かしめたが、本日は…

3月10日

私の両親は二人とも東京生まれの戦中派だ。父親は62年前の3月10日は疎開していて、空襲には遇わなかった。しかし、母親は住んでいた貸家を焼かれた。二月の空襲ですでに実家は焼かれていたので、一月余りの間に二回も焼け出されたことになる。 防空壕に逃げ…

抑留と裁判と

以前、私は戦犯裁判に関して次のように書いた。 だが、裁判などせず日本人に直接復讐したいと思った人間は数多くいた。裁判という形式を取り無秩序な復讐を良しとしなかったことは評価すべきだ。 雑感 戦犯裁判は確かに不公正な部分があった。*1が、多くの日…

JSP その二

南方軍の将兵が降伏軍人としての立場に立たされたのは、もともとは南方軍総司令部が東南アジア連合軍との交渉において捕虜ではなく「降伏軍隊」としての名誉と待遇を要求したことによる。東南アジア連合軍は「降伏軍人」という地位を認めたが、そのため日本…

意思表明

映画 Nanking に対するネガティヴ・キャンペーン(および関連ブログへの荒らし行為)については、最近も当ブログのコメント欄で ni0615 さんからご報告があった通りです。旧軍を免罪したいという動機をもつ人間にしか通用しない議論が海外で影響力を持つとい…

二六〇万人と三一〇万人

上のエントリを書くために「大東亜戦争全史」*1を読んでいたら人の損害という項目を見つけた。 「今次大戦」という書き方をしているので、日中戦争を含んでいるのかどうか判らないが、服部卓四郎氏が執筆した昭和二八年当時で死亡行方不明として約二六〇万人…

JSP その一

(Japanese Surrender Persons) あるいは(Japanese Surrendered Personnel)の略号。日本語で表記する場合は「非武装軍人」、「降伏日本軍人」となる。 敗戦後、日本軍人が捕虜になることを拒否する可能性があるので、外務大臣や陸軍省は「捕虜」(POW)としてで…

日英交流史1600-2000(3) 軍事

もともとの目的であるこの本は、例によって「日本軍の捕虜政策」の参考文献の一冊。 複数の著者による論文集だが、「日本軍の捕虜政策」で参照されているのはそのうちの1つだけだったので図書館が借りることにした。ただ、他の論文の中にも結構興味を引かれ…

戦没者三一〇万人

昨日は社外研修だったので、いつもより早い電車に乗ることができた。ちょうど借りたい本もあったので帰りがけに中央図書館によってきた。 借りたかった本は日英交流史1600‐2000〈3〉軍事という本だが、図書館の検索サービスで調べてみるとid:Apemanさんがこ…

沈思黙考

野毛山動物園には翼手目の展示がない。しょうがない(失礼!)のでApemanさんに捧ぐ。

「英霊」たちの犠牲

id:D_Amonさんの二つのエントリー「英霊たちの多大な犠牲」と感情論による正当化と感情論の正当化を読んで。 以前から、「英霊」に感謝せよとか、あるいは旧日本軍の戦争犯罪に言及すると「英霊」たちを侮辱するなとか言い出す論者には強い違和感というか、…

浅香所長の件追記

前回引用した件だが、起訴状や判決について調べようと中央図書館に行ってきた。 「BC級戦犯横浜裁判資料 茶園義男 編・解説」で該当する項目の起訴理由概要の部分は以下の通り。 罪状項目十五項その大部分は職務怠 慢に依るもの (概要より) 起訴状なし 罪状…

ゴボウについて

シベリア抑留者の未払い賃金に絡んで、日本で労働させられた捕虜たちについて確認しようと日本軍の捕虜政策の第四章「労務動員された白人捕虜」を読み返していたら、見落としていた以下の文章に気がついた。 一九四四年一二月一日、戦況が悪化しているなかで…

謹賀新年

今年もよろしくお願いします。